無事生還

takachi

2011年03月12日 11:49

東北地方太平洋沖地震が発生した時、
自分は東京メトロ千代田線の大手町駅と二重橋駅の間にいました。

あっ地震、すぐに止まるだろうと思っていたら、激しく揺れる・・・全然止まる気配ない・・・
あんな重たい車両が、あんな揺れ方、それもいろいろな揺れ方をするんだ・・・と
今までにない恐怖感でした。これー、トンネル崩れたら・・・どうなるの?
潰れるか・・・ごめん、本当に恐かった。死ぬと思いました。

少し落着いた頃に、二重橋駅まで電車が動き、全員降ろされました。
地上へ出ようとしている間も、大きな揺れに何度も遭遇しました。
地上へ出てみると、凄い光景でした。映画の世界ですよ。
ビルからヘルメットを被って出てくる人々、
大声を張り上げ、皇居広場、日比谷公園へ避難する人々、
建設中のビルの上では、大きなクレーンが、ゆったり大きく、でも凄く揺れていました。
こんな光景を見るとは・・・。
二重橋からオフィスのある赤坂へ歩いて帰りましたが、
道中も凄い人で、TVに群がる人、一生懸命連絡を取り合おうとする人・・・たくさんでした。

ママとも連絡が取れない、お姉ちゃんは学校、チビは保育園・・・みんなバラバラでした。
この連絡が取れない状況は、かなり辛かった。

帰社後、早く帰りたくても、すんなり帰さない会社。
定時になると・・・・・、
帰れるなら早く帰って、残るなら残っても構わない・・・こんな中途半端な指示。
まったく(怒)

そしてお隣マンションの徒然草さんと合流し、歩いて帰ることに・・・。
途中ママと合流し、一路川口に向けて3人で歩き始めました。

もう、凄い人と、車の大渋滞。
まさか、こんなことになるなんて思わなかった。
常に準備が必要だと痛感しました。革靴じゃ、こんな長距離歩けない(泣)

一人じゃなかったから、3人だったので心も折れず、頑張れましたね。
赤坂を出てから約4時間後、新橋を出てから約3時間後にお茶の水付近。
途中何度か、タヴケンさんとやり取りがありましたが、タイミングが合わず、
諦めてここまで来ました。

しか~~し、神様が!仏様が!タヴケン様が!・・・車で救済に来てくれました。
遭難者3名救出!
もう寒くて寒くて、足裏にも腰にも来てたから、もうタヴケンさんの顔を見たとき、
嬉しくて嬉しくて・・・ありがとう。
お菓子食べながら頑張って生き延びた甲斐がありました。

ここから3人乗り込んで、最終目的地を目指しましたが、大渋滞です。
まったく動かないところもあったし・・・。

でも社中は楽しいお話でした。
妄想・・・妄想・・・と話が大きくなり、恐らく脱線してる話や、
キャンプアイテムの話、赤塚会とDAⅢの別場所での同時開催の話、
アクティビティの話や、女子高生の話・・・楽しかった。

我々3人を送っていただき、ありがとうございます。感謝です。謝謝!

何とか2:15頃、我々のマンションに到着しました。

子供たちは夜中に祖父母に迎えに来てもらい、祖父母宅へ避難中です。
お姉ちゃんは一人マンションで大泣きだったようです。
ママの実家(宮城)も皆さん無事のようで・・・ただ家は大変なことに。
父の実家の山形は依然連絡取れず、母の実家の新潟は無事・・・。

キャンプ仲間の輪、ブログの力って凄いなーって、改めて思いました。
キャンプという共通のキーワードを持って、楽しんでいるからでしょうか?
実は地下鉄から地上に出た直後にも、タヴケンさんから『helpするよ!』メールが・・・。
このブレーンに感謝しています。
ついこの間は全く知らない他人でしたよね?・・・言葉に表せないほどの感激です。

タヴケンさん、ホントに有難う。
この一言しか思い浮かばない・・・。

ずっと余震が続いています。非常に恐怖感で一杯です。
そしてたくさんの方が犠牲になっています。
亡くなられた方もいらっしゃいます。
この場を借りて、ご冥福をお祈りいたします。
そして一人でも多くの無事をお祈りいたします。









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